自己紹介

森田 宗孝(むねたか)

院長写真

1966年4月2日生まれ 54歳 O型
愛知県 安城市出身 旧姓 「深井」
愛知県立 安城高校卒業
京都外国語大学 英米語学科卒 
1995年4月 NCA:日本カイロプラクティックアカデミー入学
2001年3月 NCA 卒業
2000年7月 桑名市 希望ヶ丘に「森田カイロプラクティック」開院
2020年7月 「からだ調律 森田カイロプラクティック」に





 できない人に共感します  
 今、自分自身に満足しています。地についた感覚を持つことができて。以前は漠然とした不安と劣等感で、世界を漂っている感覚で生活していました。しかし今は、何かを成し遂げていなくても自分を不安にさせるものはなく、ただいるだけで幸せだと感じられる自分になれました。こういう自分になることができた環境と出会いに感謝しています。と同時に、ここにいたるまでの経験と学びのために相当な時間とお金をつぎこんできて、家族には申し訳ない気持ちでいます。
 50歳までの自分は、気に入らないものからは逃げて、壁も越えようとしない。そんな自分を「どうしようもなくダメなやつ」と思っていました。だから人が「できない」ことを責める気持ちにはなりません。逆に、できない人、弱い人に親しみをおぼえます。

 強制はきらいです 
 人に強制するのも、自分が強制されるのもきらいです。
なので、整体をするときも、力ずくで相手を動かすことに抵抗があります。
身体は自ら直る力をもっているはず、それを引き出せないかと思ってやってきました。
そして、わかったのは、ちゃんと接触すると身体は自分から動いていく、勝手に変わっていく。相手に何かをするのではなくて、自分がどう在るかによって相手が反応して本来の形へ向かっていき、本来の動きを取り戻す。


学びの足跡

 NCAの講師、名古屋の A 先生 
カイロプラクティックは、背骨を矯正をすることによって生まれ持った身体の働きを回復させる手技療法で、「ピシッ」と関節を素早く動かすのだけれど、 実は人を動かしたり強制することが嫌いなぼくは、A先生から「身体は、ごく弱い力でも動くんだよ」と教えらて、それなら自分でもできそうだと安心したのです。
 NCAの学長 角野 善則 先生 
3年間の基礎知識と検査法とカイロプラクティックテクニックを愛知で研修を受けて、その後の3年間を大阪の学舎で学長の角野先生から学んだ。その第一回目の講義のとき、まず覚えておいてほしいことは、と角野先生が言われたのが「もむことを考えないで」。筋肉のコリや緊張は、骨格のゆがみや神経や内臓からおこるから、我々のすることは、筋肉をもんでゆるますのではなくて、関節や神経や内臓を正常化することで筋肉のコリや緊張をとろうとするのだから、と。 
 NCAの先輩 茨城の N 先生  
大阪の学舎で実技の練習をしていたぼくの様子を見いていたN先生が声をかけてくれた。「おまえ、悪いとこを探してるだろう。 治療は、いいところを見るんだよ」と。
 NCAの先輩 蒲郡の Y 先生 
高速スラスト、筋膜リリース、ストレスチェック、テーピング、など多彩な技術を駆使するY 先生だけど、ぼくが11年かよって身につけたことは2つ。1つは、身体の「イエス」か「ノー」かが分かること。この触り方は良いのか悪いのか。強さは?  目の前の身体が「よい」といっているのか「いや」なのかを感じとれること。 そしてもう一つ、ぼくがY 先生のところに通っていた目的は心のこと。どうしたら自信をもてるのか。何度も同じことを質問して、何度も聞いたY 先生の答えは、「できない自分でいいんだよ、と自分自身に言ってあげて」
 NCAの先輩 一宮の I 先生 
NCAで学び始めて数年後からI先生の勉強会に参加させてもらって以来だから、もう25年になるなあ。ほとんどの整体がしているのは、かたい筋肉をゆるますこと。動かない関節を動かすこと。なのだけれど、I 先生は硬い関節を動かしても、また再び硬くなる関節を触診をしていて気がついた。そして、かたい筋肉の下にある関節の「ゆるさ」に。つまり関節が不安定だから周りの筋肉が安定させるために緊張しているのだと。そして実証していった。ゆるい関節をしめることで筋肉の緊張がなくなることを。I 先生がそのことに気がつき、もどすことができたのは彼の触診力によるもの。そして、I 先生はその秀でた触診によって、治ったとされた肉離れや骨折の、その筋肉や骨にダメージが残っていること。そのために本来の力を出せなくなっている。相手に緊張をおこさせないで触ることが難しいんですよね。
 岡山のO先生 
 相手の身体に合わせることがいいことだと思っていたぼくに、自分は動いてはいけないと教えてくれたのがO先生でした。自分が基準になるのだと。50歳で出会ったO先生から「在り方」を学び、「いま、ここにいる」ことが実感できるようになりました。